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ぽすと・すくりぷと



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人は死ぬ、それは呼吸をするのと同じように




そもそも手紙の返信にP.Sと使うことのなかった僕は、
果たしてその略称の元が、ポストスクリプト――――つまるところ追伸という意味に気がつくのには、
彼女との手紙が、それこそ鳥のように羽ばたかなくなって数年後の話だった。
珈琲と間違えて買ったカフェオレは思いのほか甘かった。
これでは眠気は深くなるばかりだ、とも思ったのだが、
ここ最近珈琲を飲んでも眠気は治まるどころか、
徐々に瞼は重くなり、ついにはいつの間にか眠っているという事が多くなっていることに気がついた。

目先は広がる彼方の銀世界。
ここから先はまるで何もない様な、そんな風景だった。
木々の一本ですら聳え立っていない。
壊れた腕時計を腕につけたまま、僕は歩き出した。

ぽすと すくりぷと

其01

ない袖は振れないが、告白は振ることができると、
そう大して重くもない名言を残していった、
春夏秋桜(はるなつ こすもす)は未だ本に没頭していた。
さしあたって重要なのは袖の大きさよりも気持ちだと言う。
僕はその言葉の意味を大して考えもせず、自分の作業へと没頭した。

「私には袖はないわ」

作業も一通り済んだ頃合を読んでか、秋桜はブレザーの袖を摘みながらゆったりと喋った。
残念ながら秋桜の身長はわずか150センチあるかないか。
それこそ一般的なサイズよりも彼女のブレザーの袖は小さいのは明確ではある。
真っ黒なロングヘアーに、ぶかぶかの黒いブレザーで身を包んだ少女は何を思ったのか、
そのまま両腕を水平に伸ばし鳥のように上下に動かし始めたのだ。

「袖というよりそれは翼だな」
「私には翼はないわ」
「その台詞はその手の業界の方にしか通用しないからやめてくれ」

秋桜はすぐに上下運動を止めて、また本に目線をずらした。
まったく何を考えているのか分からない。
僕は作業中の資料を机に乱雑に置き、目元を手でほぐした。
どうも、やっかいな仕事を押し付けられたものだ。

「A man cannot give what he hasn't got.」

秋桜は流暢な英語で目線を変えぬまま、呟いた。
果たしてここで僕が日本語訳を理解できれば、それで良かったのだが、
義務教育レベルの英語は受けたものの、平均以下の理解力を自負している。

「無い知恵は出せぬ」

ぽかんとした僕を察してか、それとも英語能力のない僕を察してか、
時間を一区切りするように置いて、日本語訳を教えてくれる秋桜。
どうやら先ほどの英語の意味は"無い知恵は出せぬ"という意味らしい。
つまり、秋桜は僕の作業に対してのアドバイスはなにも無いということなのだろう。

僕は暫らく椅子の背もたれでくつろいで周りの景色を眺めた。
10畳の部屋に向かい合った長机が向かいあって4台並んでいる。
その全てにパソコンが置かれ、出入り口から一番遠い席に僕は座っている。
対して秋桜は窓際に隣接したソファに腰を深くかけて本を読んでいる。
時計は午後3時を示していた。

一つ深呼吸して僕はもう一度資料と睨み合いを始めることにした。
資料の中身は写真が多かった。
そして残りは各キャラクターのタイムスケジュール。
履歴書のように右上に顔写真がクリップで留められて、
大雑把にとある日付からの行動が雑な字で書かれている。
その資料が約5,6枚分。
そして残りは全て写真。

写真の多くには血痕が写されている。
そう殺人現場の写真なのであった。

ここで一つ疑問になるのは僕が探偵ではないか、ということだ。
ましてや警察なのではないかとも聞かれるのだ。
些細な違いなのかもしれないが、ここは正しておくと、
僕はただの人間なのである。
探偵でも警察でもなんでもなく、ただ一人の人間。
人を助けることができなかった、無念を晴らすだけの、ただのエゴの塊。

事件は覆らない。
それは完璧なまでの正論を持ちつくして語られた凶器であり、現実。
誰も現実に打ち勝つことはできない。

年は同じくして、五月を迎えた。
一通り資料を読みつくした僕は、一度部屋を出て飲み物を求めて、
購買部まで向かった。
もともと、僕と秋桜が使っている部屋が自販機からも遠く、
購買部に行くほうが実際近かったりするのだ。
いや、秋桜の部屋―――といった方が正しいのかもしれない。
とにかくそうはいったものの、僕たち二人はあそこの部屋で暮らしていると言っても過言ではない。

そもそも何故秋桜の部屋、となっているか。
単なる私大だが、その一室を我が物のように使用しているのか。
それには理由があって、秋桜の父親はここの大学の教授をしている。
そしてその研究室の空き部屋をひとつ借りているということだ。

少子高齢化。
空き研究室が何故できたのか、理由はこれに尽きる。
もともと全ての研究室が使われていた時代とは違う。

(これも時代の流れ――、か)

数十年しか生きてない僕が口にできる台詞かどうかはとにもかくにも、
時代は変わってしまった。
今では大学ないも統合を繰り返し、各都道府県に3、4校づつ存在するのみになっている。
数年前の大学数のおよそ5分の1。
それほどまでに、日本の少子高齢化というものが浮き彫りとなってきているのだ。
いや、浮き彫りではなく、彫り尽くした後。
もはや止まることのないループなのかもしれない。

一度外に出て、中庭へと続くスロープを下る。
購買部に行くには中庭を通るのが一番早い。
雨の日ではこの近道は使えないが、今日は雨もない。

「あれっ、春秋君じゃん」

ちょうど向かい側にサイドポニーの女子生徒が立っていた。
両手にはサンドイッチと紙パックのジュースを持っている。
同じクラスに所属している、山口蒔絵だ。

「あ、山口か」
「そだよん、なになに春秋君も遅いお昼ご飯なのかな?」
「いや、昼ご飯は食べたよ。ただ飲み物を買いに」

大学の場合クラスが一緒だといってもまったく顔を合わせない場合の方が多かったりする。
小中高とは違い、大学では履修といって自分で好きな授業を選べるからだ。
山口とはたまたま履修科目が被った縁で知り合った仲だ。
必然と聞かれれば必然であり、偶然といえば偶然。
果たして出会いというものが、必然なのか偶然なのか見分ける方法はあるのだろうか。
他意もなく、しかしながら意図もない。

「あ、そっかコスモちゃんとこからか」
「山口、それじゃあ宇宙だ」

山口も秋桜の部屋(いや、正式には研究室なのだが)の場所は知っているので、
僕が購買部に来た理由もすぐに察したようだ。

「けど、宇宙って書いて"そら"って読む人もいるよね」
「ん、まぁそうだけど、"けど"の使いどころ間違ってないか?」
「ここで、コスモスと掛けて、コスモと解く」
「その心は?」
「両方つかみどころがない!」
「いや、あってるけど・・・」

是非それを秋桜の前で言ってほしいものだ。
確かにつかみどころがない部分はある。
が、何故かそこが、そこだけが秋桜の本質ではないような気がするのだ。
それにつかみどころがないと言えば、"雲"の方が合っている。

「ともあれ、コスモちゃん部屋にいるんだね」
「いるよ。いつものように本を読んでる」
「そかそか、そりゃちょーじょー」

重畳か。
ということは山口も秋桜の部屋へと向かうのだろう。

「そういえば、山口昼は飯食べなかったのか?」

もしくは食べられなかったのか。

「うん、ちょいっと幼児?いや、用事があってですね」

何かしら不穏な感じはしたが、追及はよしておくことにした。

「そうか、ま、あそこの部屋は来るもの拒まずみたいだからな」
「うんうん、拒みはしないけど、嫌そーな顔はするよねー」
「ん? お前に対してか?」

だとしたら、それはかなり意外だったりするのかもしれない。

「いや、私じゃないけど、ほらときどきくるじゃん掃除のおばちゃん」
「あぁ」

確かに部屋を使っているとなると、掃除の人が入ってくるときがある。
そもそも掃除の人は部屋を使っているときは入ってくることはないのだが、
秋桜の場合、暗くなっても電気はつけないわで結構入ってきたりするらしい。

「でもコスモちゃんあんま喋んないじゃん。人見知りするというか、なんというか」

人見知りというか、秋桜はそもそも人間に興味がない。
自分自身をどこか人間と一線置いているような空気さえする。
人類を超えたとかそういう意味ではなく。

「けど、私的にはそういったところが、そそるというか。あ、いやレズじゃなく」
「もしそうだとしたら俺はそのまま直帰する」

飲み物を買って戻ってきたら二人がいちゃついていた、
なんて光景は想像できない。
そもそもあの秋桜がデレるというそんな事が起こるとは到底思えない。
人間と同じように当てはめることはできないのだ。
それが秋桜というものなのかもしれない。
規格外。範囲外。そんな言葉が当てはまる。

「あはは、ま、そうは言っても、なんだかんだで面倒見てるじゃん」
「面倒か、果たしてどうなんだろう」
「うーん、そこは本人の気持ち次第だからね。とりあえず部屋で待ってるね」

そのまま山口はすれ違うように中庭から研究室へ向かっていった。
僕が秋桜の面倒を見ている?

いや、秋桜が僕の面倒を見ている。
なんとなくそっちのほうが僕的にはしっくりくるのだ。
でもそれは何度もいうように、当てはまらない。対象外。
秋桜は雲であって宇宙であるのだから。
ループすらしない、線ですらない。きっとそれは点であり、色はない。
白い画用紙に白いペンで点を打ったように。
わかるはずもなく、括れることもない。
たとえ括れたとしても括れたかどうかもわからない。
それじゃあまるで、ひとりぼっちじゃないか。

何かがポトリと音を立てた。
それは何故だかわからないけど悲しい音だった。
強いて言うのであれば、絶望。

コンビニで少しの間思案に耽る。
別に目の前の食料に悩んでいるのでもなく、
ただ単純に、先ほどの山口の話を回想していただけの事だ。
しかしどこか奇妙な感じがしている。
不釣り合いというか、不都合というか。
歯車がかみ合ってない感触。

このままコンビニで居座ることも考えたのだが、それはやめておこう。
僕は山口と同じくサンドイッチと缶コーヒーを会計し、外へ出た。

コンビニに出ると、つめたそうなリノリウムの床。
端っこの方には観葉植物が並んでいて、すぐに喫煙所へとつながる扉がある。
既に4限の授業は始っていて、廊下は水を打ったように静かだった。

コツコツと自分の足音だけが鳴り響く。
僕はそのまま同じように中庭をでて、秋桜の研究室へと戻る。

そもそもどうしてこうなったのか。
秋桜の縁は奇妙なことに、幼い頃から実は存在していたのだ。
それは面会という意味ではなく、それこそ初めて会ったのは大学に入ってのことだったのだが、
僕自身秋桜の父親の方と面識があった。
その頃の事を僕は一生かかっても忘れることはできないだろう。
秋桜の父親は今でこそ大学の教員だが、数年前までは普通に警察庁に勤務していた。
警察といっても、科学操作研究所に勤めていたという。
通称、科捜研と呼び、科学捜査を総合的に推し進める組織だ。
鑑識課と合同で捜査のバックアップをすること もあるらしいが、
最近は科捜研独自での科学捜査活動もやっているそうだ。

全部秋桜の父親の言葉だが、
聞いただけで何やらすごいことをしているような感じになるから不思議だ。

「それでもう10年か」

秋桜の父親と出会って10年が経った。
その頃は秋桜の父親も現役の検察官で、
あの最後の日から、もう二度と出会うことはないと思っていた。
今では犯行現場の写真や犯人心理などを研究しているらしい。
詳しいことは聞いていないのだが、かなり難しいことをしているようだ。
人の縁は何かでつながっている。
大学に入学したときに、その言葉を初めて実感した。
教授名一覧に春夏と載っていたときに僕は察したのだ。

そしてそれ以上に春夏さんが秋桜という子供がいるということに驚いた。
10年前の記憶では子供を連れているようなイメージはなかったのだが、人というのは意外だ。
だとしても、秋桜との出会いはこうして始まったのだ。
もう二度と出会うことはないだろうと思っていたのが、間違いだった。
それこそ何かの間違えとでも言いたい。
しかしながら、そこには足跡が残ってしまった。
傷跡といってもいい。痣のように、薄く滲むように残ってしまった。
だけれども、それでも二度と会えないこともある。
何故なら人は死んでしまうのだから。

そして僕の両親もまた、二度と会うことはできない。
推量でもなんでもなく、そこにただ歴然と佇む事実がそこにある。

先ほど山口とすれ違った道を通ると、不思議なことに女子生徒が一人佇んでいた。
真っ白な髪をした、女性だった。
上はそれこそ墨汁に付けたような真っ黒なブラウスに、下は真っ白なロングスカート。
まるでモノクロだと思った。
彼女はすぐに振り返り、こちらが歩いているのに気付いたようだ。

「こんにちは」

僕の耳にぎりぎりの所で届いたその声は、あまりにも儚かった。
まるでもう世界に区切りをつけたような、それとも何か大きな仕事が終わったような声だった。
ここだけが、透明な仕切りを入れられたような。
そんな空間がここには出来ていた。
挨拶をされたにも関わらず僕は返事をするのにも躊躇をしてしまった。

「うーん、キミにそれだけの感覚があるのなら、それはそれでいいのかもね」
「え・・・」

僕が返答しなかったことはどうもどうでもいいらしい。
好奇心は猫を殺す、ではないけれども、彼女の笑顔は不思議と僕の口を固くした。
なんというか、この時点において僕は喋る必要はないみたいな。

「私の大切な人からのアドバイスというか、助言ね」

既に彼女に笑顔はなかった。
あるのは秋桜と同じような、空虚な表情。
それから彼女はくるりと僕に背中を見せた。

「キミはこれからすごく落ち込むことになる」

一旦の間。
初対面の人間からいきなりそんな事を言われれば多少なりとも動揺するし、人によっては不快感を感じるかもしれない。
でも、僕はそうは感じなかった。どうしても彼女の言うことがすとんと胸の中に落ちてしまった。
そう、受け入れてしまったのだ。
彼女がそう言うのであれば、それは正しいことだってことを。
まるで彼女が神様か何かで、そう、この世の中を、未来を知っているような。

「それは僕が不幸になるってことですか?」
「不幸? 落ち込むことと不幸なのは決して同義ではないよ」

彼女はもう振り向かない。
別に彼女を振り向かせたくて聞いたわけではないが、なんとなく彼女がどういう表情をしているのかは予想がついた。
彼女は傷ついている。僕に何かを伝えようとしているその内容に対して。
どうして傷つかないといけないのか。
原因は分からないけど、彼女はきっとこの事を伝えることを心苦しく思っている。
それだけは紛れもない事実だ。

「でも―――、でもきっと誰かが不幸になったとき、キミはきっと一緒に落ち込むと思う」

だから、と彼女は言った。
でも、僕はその続きを言わせなかった。

「どちらにしろそれが既に決まっている運命でも、僕はその不幸を助けたいと思います。だから―――、
だから、結局のところ何も変わらないんですよ、きっと。やることなんて、選択肢そんなにないですから」

だから大丈夫。誰かが不幸になれば助けてあげればいいし、起こったことはもう取り返しは付かないことが多い。
でも、どうにかして折り合いをつけてやるしかないのだ。
失敗だってするし、逃げたりする時もある。
でも生きているのだ。まだ終わりじゃない。
再生すればいいのだ。RPGのゲームみたいに簡単に回復はできないかもしれないけど、生きてる以上いつかきっとそういう時がくる。

「そっか、じゃあ私は必要なかったかもね」

その言葉は彼女の別れのサインだということに気がついた。
彼女の表情は最後まで見ることはできなかった。

「名前何て言うんですか?」
「うーん、決めてなかった。じゃあ白幕ということで」

白幕? それは黒幕の裏返しを暗喩しているのだろうか。
つまりは黒幕の反対側の人間。良い方向に持っていくための裏方。

「ありがとうございます」

それじゃあ、さようなら。
言葉はなかった。
別にドラマやアニメみたいに消えることもなかった。
単純に彼女は向こう側へ。まるで彼岸を飛び越えた先まで歩きだしたように。
彼岸の先。死者の括り場所。
だとしたら彼女は死者であり、黄泉の国からの使者なのかもしれない。

「馬鹿馬鹿しいな。本当に。まるで秋桜の冗談みたいだ」

結局舞台は唐突にできて、一瞬にして消えてしまった。
もうステージはどこにでもない。日常に変わった。
今更ながらに思うのだが、冷静に考えて周りからみると奇妙な会話をしているとしか見えなかっただろう。
気が付いたら手に持った缶コーヒーは握りしめた手の温度で冷たくなくなっていた。
僕は秋桜の部屋に戻る。

だけど、その時になっても僕は彼女の警告をどこか楽観的に受け止めていたのかもしれない。
人の傷は深く、簡単には治らないことを。
そして自分がどれだけ力がないということを。

僕が秋桜の部屋に戻った時に山口は居なかった。
そして秋桜もまたソファから立ち上がったまま宙一転を見据えていた。
秋桜の表情は硬い。

「どうしたんだ?」
「死んだわ」

誰が、とは聞けなかった。
それはあまりにもタイミングが良すぎるからだ。
虫の知らせだったのだろうか。あの彼女が。

「蒔絵の両親が死んだ」

テーブルには食べかけのサンドイッチが転がっていた。


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