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ぽすと・すくりぷと



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過去(寡故)



回想は白昼夢と認識され記憶の端に引っかかりながらも、少しずつ溶けて行く。
当然のように眠りから覚めた直後、僕は小さな棘が刺さるような頭痛が走った。
珈琲の湯気はとっくに消えてしまって、真っ黒な水面は更に暗さを増しているように見える。
先ほど珈琲と間違えてカフェオレを買ってしまった為、
手間がかかるのも承知で誰も居ない給湯室で珈琲を淹れた。

もしもこの回想が手紙の本文だとするのならば、この話は完全に蛇足ということになる。
蛇足というよりも、これは追伸に近いものになる。
変えられない過去を追いかけるように、弁解するような言葉。

結局僕は一人ぼっちになった。
もともとから一人ぼっちだったのかもしれない。
だとしても――いや、だとしたら後悔にも似たこの寂しさはどう説明できるのだろうか。

警察を甘くみていた、とでも思われるくらいに僕の認識は脆弱で脆くも崩れ去った。
あの日、つまりは山口が僕と最後の言葉を交わした翌日の話だ。
警察はあっさりと山口の両親が自殺と判断し、
そこからついでのように僕の両親との関連性をも繋ぎ、瞬く間に事件を解決した。
秋桜から渡された資料にはそのような気配が全くなかったのだが、
おそらく彼女が意図的に隠していただろうと僕は推測する。
もちろん推測は域を出る事はなく、そしてもう確かめようがない。
あの日から秋桜とは会っていないからだ。

皮肉な事に、事件の真相はあっけないほど僕の推理を叩き落した。

みんな自殺だった。

僕の両親は山口の両親に多額の借金をして、返済を迫られていたらしい。
だが返す方法もなく、両親は互いの生命保険を掛けて自殺した。
その自殺のスイッチとして山口の両親の何らかの圧力はあったのかもしれない。
殺人事件と装った自殺を演じる事によって、借金を返済。
でも、両親共に死ぬ事によって借金を返したとして、僕の両親は何を残したかったのだろうか。
そして山口の両親もまた、僕の両親を自殺に追い込んだ重圧からか自殺。
これもまた娘への配慮かなにか知らないが、殺人と思わせての自殺。

どこもかしこも自殺の嵐。

もちろん検察側の事件解決としての書面的な犯行動機であることで、
本当の意味での事件解決は永遠にお蔵入りとなった。
もう死者から話を聞く事はできないし、人の気持ちなんてものは口で聞いても到底分かる事はないのだ。
それでもなお不思議と僕は一人一人に聞いてみたいと思っているのだ。
僕と、そして山口の両親に。
もちろんその目的は一生叶う事はないのだけれど。

果たして僕は愛されていたのだろうか。

不幸にも、そして親不孝でもある。
僕の両親との思い出は何一つなかった。
ふと映画館のように昔の記憶に入りこもうとするけれども、そこには上映されるべきテープはどこにもなかった。
肌をも傷つけそうな大きな砂嵐のホワイトノイズが吹き荒れていた。
荒んだ風景のなかには何一つ温かみを掌握する事はできなかった。


そしてうまく生きる事が出来なかった僕は、なんとも中途半端な大人になったのだと思う。
大学の就職課が出していた企業の一つに運よく採用された。
上場の機会も死ぬまでなさそうな名もない電子機器を扱う企業だ。
親の会社からの発注を淡々とこなすような、ある意味淡白な仕事でもある。
でも僕は他の人よりもそれが辛いとも、そして苦しくもなかった。
たぶん文字通り浮世離れをしていたのだと思う。
手と足も身体もしっかりと動くけれども、心だけは断ち切られたリードのように何処かに流れていた。
皮肉にもそれがリードではなくあの日と同じくロープなのかもしれない。

あぁ、だとすれば僕は繋がっているのだ。
人を死体へと変えたロープで首を繋がれて、僕は今も子供のころの自分と繋がれているのだ。
それを断ち切ることもできずに、逃げれば逃げるほど首は絞まり身体の自由が利かなくなる。

でも、それは僕にとって悪い事ではなかった。
何故ならば、その誰にも見えないロープこそが、
僕とこの生きている世界との唯一の接点のような気がするからだ。
色々な意味を含んだ命綱である。

「ずいぶん寝ていたようだけど」

典型的なOLのスーツを着こなした女性が目の前の机に立っていた。
職場の机配置は学校とは違い対面式となっているので、
席を立てば積み重ねられた本を通り抜けて向こう側の社員は嫌でも目に入るという設計だ。

「すいません」

僕は形だけの謝罪を述べる。
本来ならば注意されるべき行為なのだが、休日出勤であり、
そして給料が発生していないタイプのものであるため会社側からは御咎めがあるはずもない。

「いいのよ、会社が悪いんだし」

彼女もまたうっすらと目の下に薄暗いものがにじみ出ていた。
基本的にノルマ制であるところが、この環境を生み出していると以前彼女から聞いたことがある。

「でも珍しいわね。あなたが寝ているなんて」
「えぇ、そういえば」

確かに意識的に飲み会などの誘いを受けない為か、
割と睡眠時間は取れているし疲労も溜まっているわけでもない。
昼寝と言えばそれまでなのだが、でもこんなにも深い眠りに就いたのはいつの頃だろうか。

「昔の夢を見ていました」
「へぇ」

すこし驚いたような顔を彼女はみせた。
でも、どんな夢かまでは聞かなかった。

「すいません、ちょっと休憩してきます」
「いいんじゃない? 別に私に許可を取るものでもないし」

僕はもう何年目かのお付き合いの椅子から立ち上がる。
両足の膝は急な運動に驚いて骨を鳴らす。
僕は無視して背伸びをして身体を点検するように、各部位を簡単に動かした。
休憩所は屋上と決まっていた。

屋上から吹き付けてくる風が少し肌寒い。

そして僕は白昼夢の事を考える。

あれから山口は直ぐに学校を退学した。
そして友人から聞いた話だが看護学校へと進んだらしい。
その決意にはどんな意図があって、どんな思いがあったのかは想像もつかない。

僕が大学を卒業するまでに、三回だけ彼女から手紙が届いた。
内容は看護学校の事と、そして秋桜の事を気遣う内容がほとんどだった。
そして最後まで聞く事はなかったのだが、
手紙の終わりにはPSと書かれ、その先は三通とも空白だった。

そして秋桜は、徐々に大学の講義に顔を出すようになっていった。
彼女にも僕の考え及ばぬきっかけがあったのだろう。

事件解決から一言も顔を合わせて話をしなかった。
そして三人ともばらばらとなった。
今では彼女らが何をしているのかも僕は分からない。

僕は一人きりでこんな所まで来てしまった。
住所も誰にも教えていないので、よっぽどの奇跡が起きない限りは昔の知り合いと会う事はないだろう。
同じく彼女たちが何処にいるのかも分からない。
そして僕の事を覚えているのかどうかも定かではない。

あれから随分月日が流れた。

すっかりと会社の空気に汚染されて、昔の思い出は色褪せたものとなった。
まるで建築物が退廃するようについ先日まで思い出せていた内容が失われていた。

くしゃみが二回。
少し身体が冷えてきた。

そしてくしゃみをした勢いからか少し涙が出た。
涙は止まらない。
けど泣きながらも僕は考えた。


あれ? 一番最近になって泣いたのはいつだろうか?

こんなにも感情が露出したのはいつだろうか。


思い出すのにはそれほど時間がかからなかった。
山口と最後に言葉を交わした日の事だ。

あの日、山口は死ななかった。
そのまま膝を付いて泣き始めた。
ごめんなさい、ごめんなさいと―――。
あれは誰に謝っていたのだろうか。
もう何処にもいない誰かに罪滅ぼしをするように彼女は泣いていた。
そして僕も泣いていた。
僕もまたどうして泣いていたのかよく分からなかった。

それからの記憶は千切られたページのように全く思い出せない。

そして今もなお記憶というページは徐々に焦げて無くなっている。

僕は不思議と走っていた。
屋上のドアを力任せに開いて、階段を駆け降りた。
会社を出て、電車も乗らず自宅へと走り続けた。
誰がどうみたって、電車やタクシーという交通手段を使えば速く着くというのに僕はそれをしなかった。

自分の足で走らなければならないような気がしたからだ。

走っていく途中に色々な物を思い出してきた。
その中に微かに光る何かを見つけたような気がした。
山口の家へと向かう途中の事だ。
夢の中で会話をしたあの女性。

あれはもしかして母親だったのでないだろうか。


しかしどれだけ走っても、もう彼女が出てくる事はなかった。
それは僕が大人になってしまったからかもしれない。
もう一度だけ会って確かめたかった。

今更ながら後悔の多い人生だったと思った。

もう築何十年かも分からないような自宅へとたどり着く。
屋上では身体が冷えていたのにも関わらず、
自宅に着く頃には汗もびっしょりでシャツが肌にくっついて気持ち悪かった。
それでも僕は部屋を駆け回り、何か書くものを探し出す。

そしてようやく見つけたのは、無地の小さく折りたたまれた便箋だった。
とうとう山口に送る事はなかった便箋だ。
僕は便箋を机の上に広げ、皺を丁寧に伸ばす。

もうこれ以上失くさないように、あの日の事を書き残そうと思った。
今思い出せる全てをこの手紙に書き尽くそうと思った。

そして書き始めに僕は少し逡巡する。
どこから書き始めようと。

やがてペンはゆっくりと動き出す。

完全にあの日の事を綴る事は不可能だ。
だったら、追伸として此処に充て名もなく書き記そうと。


■ぽすと・すくりぷと 07
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