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ぽすと・すくりぷと



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正反対(所為-反-他意)



時間は有限で、そして残酷にも平等だ。
偏見も疑念も因縁も疑惑もなく、うっすらと引いた平行線をまっすぐと行く。
誰にも止められないし、それを後押しすることも敵わない。
それでもなお時間の流れとも呼べる逆らいようもない大きな力に対して、
僕たちは醜くも起死回生とでもいえる奇跡を信じて、
過去の使者に対して生き返りを願っている。
しかし、それでも生き返らない。誰ひとりとして。

でも生き返らないからこそ、人は一生懸命生きているのかもしれない。
でも、もういいじゃないか。
どこまで走ればいいのかも分からないのに、
闇雲に走るなんて馬鹿のすることじゃないか。

でも、不思議と身体は酸素を求め、足は前へ前へと踏み出される。
あれだけ前を走っていく人を見て笑っていたのに。

まだ見えない未来に僕は恐れを抱く。
目を閉じて、そしていつものような日常へと戻りたい。

「はっ――――――」

笑った。
途切れる息の合間に笑いの声が混じる。
自分自身を嘲笑する。
目を閉じていては、いつものような日常は戻ってこないじゃないか。

走るごとに雑念は振り払われて、大切なものだけが残っていく。
散っていた残滓は濁った光を残して、遠く遠く遥か後方へと散っていく。

事件―――と言っていいのだろうか。それとも事故なのだろうか。
とにかく犯人は山口の事件に関しては誰も居なかった。
そして僕の事件に関しては存在した。
因果応報であり因中有果でもある。

景色はぐるぐると移り変わり、自分がどこを走っているかも、生きているのかも分からなくなってきた。
そもそも僕は生きているのだろうか。

「こっちこっち」

ふと呟く様な声で、誰かが囁いた
そっと周りに聞こえないほどの内緒話の様な囁く声で。
上は真っ黒に染めたブラウスに、下は透き通るほど真っ白なロングスカート。
真っ黒なブラウスが深遠の慟哭だとしたら、真っ白なロングスカートは天を貫くほどの真っ白な空。
天国と地獄。


――――――まるでモノクロだと思った。

足は止まらなかった。
むしろ更に速くなった。

景色は光が透き通るほどの眩しい白い景色と、自分の身体も見えない程の漆黒の景色と入れ換わった。
紙芝居が早送りで巻き取られていくような感覚。
真か偽か。
でも声だけはこの世界にしっかりと確立していた。

次第に足の感覚が無くなってくる。
まるで水中で足を動かしているように。
それでも声は聞こえてくる。

光か闇か。

光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か光か闇か。








――――あれ? そういえば、彼女は誰だっけ?



涙がひらりと落ちる。
いや、涙じゃなく汗だったかもしれない。
自分がひどく酸素を求めている事をようやく気付く。
走ってきたのだ。山口の家まで。二人の死体が生まれた場所へ。
死体が生まれたというのも奇妙な表現だ。
もう死体は埋もれている。

桜の木の下には死体が埋まっている。
ふと、昔誰かに聞かされた話を思い出した。
どうして今まで思い出せなかったのだろう。
走って来たからか。
それで、鍵が外れ記憶の扉でも開いたのか。

僕は扉を完全に開く。
もちろん記憶のドアではなく、山口家のドアを。
無断で。無礼にもチャイムも鳴らさずに。

「嘘・・・・」

声の主はもちろん、山口蒔絵。
その手には山口家最後の輪が綺麗に括られている。
もちろん天使の輪でもなく、自殺する為のロープの輪だ。

ビンゴ、と口には出さず喉にのみ込んで再び心に収めた。

「知ってたんだな」

挨拶はなしだ。
時間は沢山ある。でも無限ではない。
でも焦りと此処まで走破した疲労で声は思った以上に途切れていた。

「俺の両親が死んでいたことを」
「・・・・」

返事はなし。
無言は肯定――――とこの場合は見做してもいいのだろうか。

「そして、山口の両親が僕の両親を殺した犯人だったんだな」
「っ、」

まるで怪物を見るように、山口は驚いた。
それは驚愕の事実を知ってしまった驚き方ではなく、僕が知っていたことへの驚愕だった。
おかしいと思っていたんだ―――なんて探偵めいた発見ではなく、ついさっき気が付いた。
そもそも話が出来過ぎている。
人をそうそう同じような手口で殺すはずがないじゃないか。
いや、言い方が悪かった。
殺人鬼だとしても、何故数年越しに殺しを働く理由があるのか。
人を平気で殺す事のできる人間はいるだろう。それは認めよう。
でも。それはいつだって連続的で、暴力的で、直接的なものが多い。

そしてそれ以上に。
これを口にするのは、自分自身を縦に引き裂く様な形になるかもしれないけども、
僕なんかが山口と友達になれるはずもないのだ。

だったら何で僕に近付いた?

「山口は自分の両親のした事に付いて、秋桜に調べてもらったんだな」

秋桜の知名度は高い。
それは彼女の能力以上に、彼女の父親の肩書きとその情報力が起因している。
推測という域の出口に佇む推理。
ほぼ絶対と言わんばかりの答えだけれども、しかし推測の域は肯定されるまでは脱出する事はできない。

だから、僕と出会った。

「そして、偶然、いや、必然だったかもしれない。被害者の息子が僕だったというわけだ」

ここからは完全に僕の推理。
実は経歴を見ると、僕の両親と山口の両親は同じ会社に所属していたのだ。
もう真実を知る事はできないが、両者とも何らかの揉め合いがあって僕の両親は殺された。
いや、もしかしたら僕の両親を殺したのは別の人間だったのかもしれない。
それでも山口の両親はどこかで関わりを持っていたのだ。
何度も言うように、使者の言葉はもう蘇らない。
解答用紙はもう失われてしまったのだ。永遠に。

そして山口はきっと両親を糾弾したのだろう。
もしくは両親はきっと娘の様子で察しがついたのだろう。
どちらにしろ自殺のトリガーは引かれてしまったのだ。

そのときの山口の両親にあったのは、贖罪の気持ちなのだろうか。
それとも諦めの気持ちなのか、娘への反省の気持ちなのだろうか。

それでも推理としては否定される部分は多く残っている。
じゃあ、暴れた痕跡は何の為なのか。
それは娘への生命保険の為に他殺とみせるためなのか。
意見の対立による夫婦喧嘩なのか。
それとも本当は真犯人が存在しているのかもしれない。

テレビで流すにしては三流以下で綻びだけしかない無粋で最悪な推理である。

でも、それでもなお、唯一の証拠があった。

「山口、自殺でもするのか?」

決して両親の跡を追う事でもない。
結果的にはそういう捉え方になるのかもしれない。

他の人、という理屈で言葉を紡ぐのなら家族だって他人に入るだろう。
でも、家族は一生家族のままであって、そして他人の中で一番自分に近い人間なのだ。
だから家族の一員として山口は罪を償う為に死のうとしている。
墓場で両親が死んだというのに悲しくないと言ったのはそういう事なんだろう。
人殺しとしての因果と家族が失われた事に対する悲しみの狭間を山口は佇んでいた。
少なくとも今僕はそう解釈をしている。

自殺が果たして贖罪になるかどうかと聞かれれば、僕は答えられない。

「どうして、あなたは平気な顔をしているの?」

彼女の命の輪は今もしっかりと握りしめられている。
もちろん今飛びかかれば自殺を止める事はできるだろう。少なくとも今だけは。
平気?そんな顔をしているのだろうか。

でもさ――――山口、


「自殺? すればいいじゃん」


自殺なんかしても、死んだ人間は返ってこないんだよ。

「え・・・?」

彼女の手が緩まるのが分かる。
たぶん自殺を諦めたためではなく、驚きのせいだろう。

「でもさ、山口。それは一生許されることはないんだ。自殺でも祈りでも痛みでも悲しみでも」




もう死んでいるのだから―――――――


もう謝るべき人間はどこにもいないのだ。
悲しいけれどもそれは事実で、覆しもないような事。

「謝っても、泣いても、苦しんでも、許してくれる人間はどこにもいないんだ」

もしも此処に僕の両親と、そして彼女の両親が居たのならば、
それは本当の意味で贖罪となって、罪は溶けて消えてしまうのかもしれない。

だから僕たちは意味もなく謝り続けて、自己満足にしか浸る事しかもうできない。
そんな自己満足は悲しいだけだ。
でもそれを止めてしまうことは決してできない。

だから山口。

「だから、自分の為に自殺しろ」

死なないでくれ。

「俺の為でも、俺の両親の為でも、お前の両親の為でもなく――――」

――――もしも死ぬのなら、自分の為だけに死んでくれ。




あぁ、僕は馬鹿だ。
誰かを救う力も、差し伸べられた手を掴む事も、希望を与える言葉も何一つ持ち合わせてない。

「ねぇ」
「ん」

「コスモちゃんに出会ったから、友達になったわけじゃないよ」

お願いだ、山口。

「コスモちゃんに会う前からずっと知ってたんだよ。だって――――――」

お願いだから、最後だけでいいから、昔みたいに“春秋君”と呼んでくれ。

山口は躊躇いをみせた。
困惑したような、懊悩として、何かを堪えているように。
そしてその何かを吐きだす事なく、彼女は一言だけしっかりとした声で、

もうずっと昔の頃のように、

友達だったあの頃のように、


ありがとう――――――と言った。



そして。

僕は、生まれて初めて死ぬほど泣いた。
両親が死んだときの分まで泣いた。
喉が枯れるまで言葉とも成さない声を出した。
洋服のどこもかしこも皺だらけで、雨に打たれたように濡れていた。

死ぬかと思うくらい泣いた。

でも死ねなかった。

僕は何の為に死ぬのかも、死ぬ意味も目的もなかったから。

幼い子供が転んで、泣いて、立ちあがるように、僕は少し前を向いた。
もう死のうという気持ちはどこにもなかった。

そして涙と一緒に色々な物を流してしまった、僕は沢山の物を失ってしまった。


■ぽすと・すくりぷと 07
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