01 -
02 -
03 -
04 -
05 -
06 -
07 -
08
迷路(明路)
■
山口と墓地で会った翌日に僕は秋桜の所へと向かった。
正確には墓地での件は日付を超えていたので、当日ということになる。
1コマ目の講義から出席することなく直接秋桜を尋ねた。
ドアノブが異様に冷たかった。
何故今更になって起こったのだろう。
数年前の殺人事件。被害者は僕の両親だった。
そして先日の殺人事件。被害者は山口の両親だった。
数年間の空白。
ドアは予想通り空いていた。
部屋の中は暗く、まだ早朝の廊下の方がいくぶん明るかった。
僕は慣れた手つきでドアの側面の壁にある電気のスイッチに手を伸ばした。
明かりが灯ると一番奥の机には秋桜が座っていた。
その冷たい目には何も灯らないような気がした。
まるで世界そのものにはもう価値なんてなくて、一人別の世界を覗きこんでいるようだ。
もう完全に一人違う世界にいるのかもしれない。
「山口の両親は失われた」
大切にしている宝物を撫でるみたいに、そっと秋桜は口にした。
壊れものを扱っているように。
その声は少しかすれていた。
「そう、失われた」
確認するように僕は彼女の言葉を繰り返した。
山口の両親はこの世界から失われた。
殺されたのではなく、失われた。
色々な物を持ったまま、この世界からあっという間に消えていった。
「そしてあなたの両親も」
雪が積もったみたいにしんと部屋は静寂に包まれた。
右手に備え付けてある戸棚のガラスは埃で曇っていた。
中にはプログラム言語の本や、心理学の本が煩雑に並んでいた。
錆びついた小さな机の上には重ねられた本が崩れていた。
秋桜の言葉に耳を傾けながら、僕は部屋の周りを隅々まで観察していた。
今更。
僕の今の気持ちを表現するのなら、この言葉が一番適しているのだと思う。
今更になって深く海の底に潜っていた過去が現実に浮かんでくるなんて、
何とも意味のないような気がするのだ。
山口は山口であり、僕が僕のように、仮に事件の真相が同じ犯人だとしても、それがどうした。
同情でもすればいいのか。それとも僕が山口を慰めればいいのか。
どれも違うような気がした。
「秋桜―――、俺はどうすればいいんだろうな」
別にもう昔の事だ。
犯人が見つかろうが、もう僕はその犯人を責める力も持ち合わせていない。
もう、この環境だからこそ僕という存在があるように。
今更、なんらかの魔法の力で両親が戻ってくるとしても、
どんな気持ちをとればいいのか果たして僕には想像もつかない。
失われたというのは、もう戻ってこないことと同義。
壊れた時計とは違う。再生することができないということ。不可逆ということ。
部屋は誰も居ないかのように静かだった。
沈黙だけがこの部屋に存在しているような気がした。
「私には分からない」
秋桜は一枚のプラケースを掲げた。
中には無地のCDが収まっている。
「これを受け取るのはあなた次第」
要するに自分の事は自分で決めろと言う事なんだろう。
小さな手に収まったCDにはかなりの情報が詰まっているのだろう。
それを見れば何かが分かるかもしれない。
だけど分かったところで何をすればいいのだろう。
犯人を捕まえるのか、それとも復讐でもするのだろうか。
秋桜は一旦プラケースを机の上に戻した。
そして真っ黒な瞳で、じっと僕を見た。
まるで僕の中の全てを覗きこまれているような感覚だった。
「現実において選択肢は沢山ある。でも選べるのはいっこだけ」
一秒一秒、僕が呼吸している間もそれは選択肢を選んだ先の世界。
ここで立っているのも一つの選択肢を選び続けている延長線。
僕が生きている限り、選択肢は次々に現れ、そして失われていく。
「死ぬまでゴールのない迷路に迷っているみたいだ」
「違う。私たちがいるのは、まっさらな白い空間。迷路も何もない。でも身体はひとつしかない。
そして迷路は通路ができている。壁にぶつかれば方向を変えればいい。
でも、現実は進んだ先が壁かどうかも分からない」
表情を変えずに秋桜は喋る。
「でも―――、でもこれを見れば、少しは先の景色が見えるかもしれない」
机の上に載せられたCDを僕はじっと見た。
そして山口の事を少し考えた。
僕は彼女に対して何ができるのだろうか。
山口の為に、犯人に復讐でもするのか。それとも山口の前で土下座でもさせればいいのか。
どれも違うような気がする。
「秋桜、受け取るよ」
人形のように秋桜は首を一回縦に振った。
その動きは微かだったけど、それでも彼女は頷いた。
無数にある選択肢のなかで、僕は選びとったのだ。
何ができるかも分からない未来を見据えて、僕は秋桜の小さな手から、
そのCDを受け取った。
山口の為でも、何でもない。
ただこれから何ができるのか。
今このCDを持っている間、それもまた僕が選んだ選択肢の一つ。
だからとりあえず、いつも通り歩けばいいのだ。
まだ午前十時も回っていない。
残された時間は多いのか、少ないのか。
僕はパソコンを立ち上げた。
モニターに映るのは無表情の文字の塊だった。
それぞれの欄に様々な状況や、山口の両親についての、生い立ち、交友関係、
様々なものが事細かに書かれていた。
文面からも交友関係での犯行ではどうもなさそうだというのが、警察の見解だ。
おそらくそれは正しい。
でもさ、人間なんて生き物なんだから人を殺すのは当たり前というのが、
どこかの専門家が発表していた。
だからこそ戦争は起こるし、殺人事件はめっきり無くならない。
「やめだ、道徳とか倫理とかそういうの僕には性に合わない」
ただ単純に山口におせっかいをしたいだけなのだ。
救いたいだけ。でもきっと救うことはできない。
だって人間はいつだって一人ぼっちなんだから。
だからこれは単なる僕の我儘。エゴ。
他の秋桜とか山口とか犯人とか、死んでいった人の気持ちなんて知ったことか。
ただこれは僕が今一番やりたい事だけだ。
■ぽすと・すくりぷと 03
Copyright © 2009
ななつ☆. All rights reserved.
to 04
back