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他人に口なし
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翌日の朝はそれほど寒くはなかった。
僕はいつものように大学に行く支度をすると、何も食べずに家を出た。
食欲がないわけでもなかったが、家で食事をする習慣があまりなかったし、コンビニで大抵のものは賄える。
義務教育時代の学校と違って大学はいつだって門を開いている。
学校に就くまでに郵便局のバイクとすれ違っただけで、他に人間は一人も見当たらなかった。
まだ早朝の四時半。まだまだ町は眠っている時間帯だ。
昨日の山口との―――そして自分自身からの決別から僕は何かが変わったような気がした。
変わったのは自分ではなく、世界の方かもしれない。
なにかしら僕の目に映る景色が曇って見える。
大学キャンパスに入っても生徒はおろか、電気すら付いていなかった。
ガラス張りの壁に隣接する自動販売機の明かりだけが仄かに漏れ出していた。
ガラスの向こうには白いベンチと長方形の灰皿が並んでいて、いつもは喫煙者が集まっている。
右手に持つ鞄の中にはいつものようにCDが入っている。
この膨大なデータの中に果たして事件の糸口が眠っているのか、それとももう失われているのか。
死者の言葉は蘇らないし、過去も戻ってくる事はない。
秋桜は世界は全てがパラレルワールドだと言っていた。
しっかりとした足取りで僕はエレベータへ歩く。
一人だけのエレベータの個室に入って、ようやく自分が孤独だったことに気が付いた。
なんだ、孤独って事を自覚しているのか。
孤独を自覚すると言う事は、やっぱり僕自身が孤独を寂しいものと感覚として分かっているということで、
人との関わりを少なくしたいと思っていたのに、その縁を断ち切れない事が寂しさを認めているということ。
山口の事だけじゃなく、僕自身のことだってわかってないじゃないか。
僕は僕自身の気持ちを理解していないのだろう。
本当は人の温もりを欲しがっているのかもしれないし、またはその責任に逃げ出そうとしているのか。
永遠無二の親友が居るのであれば、僕は無償に貰える信頼に逃げ出したくなるのかもしれない。
じゃあ今は?
ようやく秋桜の研究室へとたどり着く。
ドアに付いているのは曇りガラスなので中を覗う事はできないが、電気は付いていなかった。
でも僕は不思議のこの部屋の中には彼女が居るであろうことを確信していた。
ドアノブは鈍く光り、乾いたスポンジが水分を吸い取るように一気に掌の温度を奪っていった。
「おかえり」
「うん、ただいま」
淡白な受け答え。やはり秋桜はここに居た。
僕は彼女の顔に多少なり違和感を覚えた。
それは顔を見ているうちに確信に変わって思わず彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。
「何?」
さすがに不審に思ったのか、珍しく感情の籠った声で彼女はモニターから顔を放してこちらを見た。
やはり―――やはり彼女の目の下には微かにクマができた。
ほとんどの人間が気付かないであろう、その小さな変化が僕には理解できた。
これほどの小さな身体で何をしていたのだろうか。
たぶんその答えは単純に彼女自身の感情から成るものだと僕は思いたい。
いや、そう願いたいし、思い込みたい。
「いいや、何でもない」
「そう」
僕は答えなかった。
それと同時に彼女もまた山口の事は聞かなかった。
「で、事件のことだが、進展は?」
「たぶんしていない」
「そっか」
昨日の今日だ。まだ事件の情報が出ていないかもしれない。
しかし、これもまた何か不思議と違和感があった。
どこに対して自分は違和感を覚えたのだろうか。
事件の事、秋桜の事、山口の事、そして自分の事。
まるで雲を掴むように、自分自身の違和感の正体を明確に形で掴めない。
考えつつも僕はいつも通りに椅子に座りモニターを眺める。
事件は簡単だった。
山口の両親の二人は首つりで死んでいた。
まるで玄関で娘を出迎えるように、
玄関からの廊下の天井に工具店で売っているロープを使用してぶら下がっていた。
死亡推定時刻は五時前。
山口が帰宅した、三十分前の話だ。
廊下からまっすぐ続くドアの向こうはリビングで、争った形跡があった。
写真で見ても、机は倒れ、本来は机と一緒にあるべき椅子がその奥の台所まで飛ばされている。
机の上に置いてあった花瓶は粉々に割れていた。
庭に続く窓ガラスも粉々に割れていて、絨毯の隅々まで散らばっている。
死亡した山口の両親からはいずれも睡眠薬を飲んでいたとされ、死亡推定時刻も夫婦そろってほぼ同時。
司法解剖の結果には他にも、両者に暴行を受けた痕が残っている。
しかしどちらも致命章ではない上に、骨も折れていなかった。
第一発見者は山口家の向かいに住む、家の主婦。
洗濯物を取り込む際に隣の窓が割れている事に気が付き、
様子を見たところ首を吊って亡くなっていたそうだ。
事情聴取された主婦の話では、山口家の玄関の鍵は空いていて、
インターホンを鳴らしたが反応がなかったので少し覗いてみたそうだ。
ちなみに主婦は買い物から帰ってすぐ洗濯物を取り込んでいた為に、アリバイは立証されている。
以上が事件の大体の要約。
もちろん資料にはもっと詳しく書かれているが、すべて推測という文字が羅列していた。
ちなみに僕の両親が死亡した事件とほぼ同じ内容だった。
違う点を上げるのならば、睡眠薬ではなかった。
僕の両親は頭を何かによって殴られて完全に意識不明のまま首を吊ったとされている。
「秋桜、どうして睡眠薬を使ったか疑問じゃないか?」
ぴくりと秋桜は反応する。
何故犯人は睡眠薬を使ったのか。
単純に武力で気絶させ、その後犯行に及べばよかったんじゃないだろうか。
「仮に、犯人の目的が首吊りをさせる事だとしたら納得する」
「そうか、作業しにくいからか」
でもその理論には前提として、“何故犯人は首つりをさせたのか”という根本が解決しなければならない。
復讐―――だとしても、眠らせて殺すなんてあまりにも親切すぎやしないか。
怨恨だとすれば、相手を苦しめて殺すのが目的になる。
あ、そうなると逆説、睡眠薬が無ければ相手は暴れていただろうし、やはり必要だったのだろうか。
「仮に犯人が男としても、いくら一人が女性とはいえ、二人相手じゃ苦しいかもな・・・」
「犯人が一人とは限らないわ」
そうか、何で犯人が一人だという考えに囚われてしまったのだろうか。
四人で襲えば一瞬で決着はつくだろう。
でも、複数人に恨みを買っていたということなのだろうか。
矛盾している。
仮に複数人に恨みを買っていたとして、睡眠薬が必要なのだろうか。
それと同時に仮に睡眠薬で眠らせたとして、そのまま首吊りで殺すものだろうか。
いや、更に思考を別の方向へと向けてみる。
仮に睡眠薬で眠らせて、起きたところで殺そうとする。
が、犯人グループはこの家族に娘が居る事を知り、時間帯を見て慌てて殺す事にする。
だとしたら、一応線は通っているような気がする。
「何か引っかかるんだよ」
その言葉に秋桜は表情を硬くしたような気配がした。
少し肩を震わせたような、何か大切な事に気が付いたかのように。
「秋桜は何か分かった?」
「いいえ、ただ犯人は多くて二人か三人。それ以上犯人が居るとしたら必ず警察が尻尾を捕まえるはずよ」
「皮肉な話だけど、恨んでいる人数が多いほど容疑者も上がるわけか」
だとしても容疑者はおろか、事件の解決はどこまでも先にあるような気配を見せていた。
まるで雲の向こう側の話みたいだ。
「僕の家族と何か関係が――――」
ん、ちょっと待てよ。
何かが今大きく動いたような気がした。
それは何か空間のような感覚的な何か、空気の様なものがごっそりと抜け落ちたような気配。
まるで違和感だけが僕の周りを取り巻いているような感覚。
とてもじゃないけど、この感覚に懊悩としてしまう。
家族の事、山口の事件。
二つの事件が繋がった線であることを一体誰が定義した。
そもそも僕の先入観から始まったものだとしたら。
もしもそこに大きな隔たりがあるとしたならば。
でも、そもそも関連性があると確信したのはいつのことだったか?
山口の両親が死んだ時から?
その死体が首吊りだったから?
ただの偶然じゃないのか?
それとも――――――――
「あ、」
ぽとり、と。
まるで目の前にある空気の塊が、石という物質に変わって重力にひっぱられて落ちてきたように。
まさか――――――、と思う。
僕は山口の両親のプロフィールをもう一度しっかりと確かめる。
「秋桜、お前―――――」
そして秋桜と話したときの今日の違和感。
秋桜の目の色は変わらない。
まるで何かを、自意識過剰かもしれないが、僕の声の続きを待っているような。
「全てを知っていたのか?」
答えも、何も。
答えを抜いた問題集を僕に押し付けて、解答集だけを隠して。
「知らない。あなたの気持ちも、そして彼女の気持ちも、そして殺された人の気持ちも、私の周りに居る人の気持ちも、世界に住んでいる人たちの気持ちも」
「―――――全部、知らない」
釈明すらもしないはっきりとした言葉。
否定することも、肯定する事も、ただ整然と単語が並んで紡いだだけの言葉。
そして――――それが自分のすべてだと言わんばかりに。
他人の気持ちを知らないから、だからと言って隠さないで欲しかった。
それは僕を思ってなのか、それとも山口を思っての事なんて分からない。
でも、それが確かに秋桜のしっかりとした、確固たる感情であった。
僕は両手の拳を強く握りしめていた事にようやく気が付いた。
黙っていた彼女を殴る為でも、彼女への怒りの為ではない。
この怒りは自分に対しての怒り。
「俺だって、怖いよ。お前の気持ちも、山口の気持ちも、殺された僕と山口の両親の気持ちも、友達も先生もそれ以外の世界の人たちの気持ちも――――全部怖い」
一つ息をゆっくりと吸い込んだ。
あぁ、またも訣別なのかも。
不思議にも僕はもうこの部屋を出ていくような事を言おうとしているにも関わらず、
そんな事をごく当たり前のように考えていた。
言い方を変えよう、卒業するのだ。此処を。
息を吸い込んだ。数ある日本語のたった数文字を紡いで言ってやるだけでいい。
「で、だから?」
だから何?怖いから何?
「そんなんじゃ、人間生きていけないっつーの」
あぁ、自分がどんどんとひどい人間になっていくのが分かる。
でも止まらない。止めもしない。
秋桜に対して何かを抑えていた自分が壊れていくのがわかる。
言葉を出せば出すほどに、仮面は剥がれ、はじけた破片が身体へと突き刺さる。
突き刺されば当然痛い。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
でも、でも、でも、でも、でも、でも、でも。
秋桜に浴びせる言葉の分だけ、今までの仮面が崩れ自分の心に突き刺さる。
別に秋桜は悪くない。自業自得なのだ。
そしてまた秋桜も秋桜自身で悪い。
僕が責めるべき悪ではない。
でも、傷つくからこそ、人間は人間を必要としているのではないだろうか。
両親を失った僕は、いつからかこの部屋に通っていた。
もう一人で生きていこうと思っていたのに。
それでも、秋桜が居たからこそ、僕は一人にならなかった。
いや、一人になれなかったんだ。
「いつまで此処に籠ってんだよ、他人の気持ちなんて分かるか」
あぁ、言ってしまった。
「俺だって、お前の気持ちが分かったら、山口の気持ちが分かったら、それだったら、そう思ってるよ」
あ、少し涙が出てきた。
でも今更隠そうとも思わなかった。
少なくとも彼女に対してはこの感情を隠そうとは思わなかった。
「だからお前が思っている事教えて欲しかった。そして山口の気持ちを知っていたのなら教えて欲しかった」
僕は鞄に荷物を詰め込み始めた。
授業に出るわけではない。山口に会いに行くためだ。
CDをトレイから出し、ケースに直してパソコンの前にそっと置いた。
パソコンを消そうかどうか迷ったあげくに、僕はメモ帳を取りだした。
少しだけ作業をして、僕は鞄を肩にかけた。
もう秋桜の顔を見ない。
彼女に背を向けたまま、僕はドアノブをしっかりと握って捻った。
「ありがとう。助かった」
あれだけ、言葉を浴びせながらも、去り際にはお礼を言った。
馬鹿みたいじゃないか、と自分でも思った。
そのまま出ていけばいいのに、未練がましくも言い訳みたいな言葉を吐いた。
でも、あぁ、それが自分なのかな。
でも秋桜の言葉を借りるなら、事件の全ては知らない。
けど、分かった事もあった。
山口の両親の墓に行った日の事だ。
山口は僕に『ね、春秋君は両親が死んだときどんな感じだった?』と聞いた。
でも待ってほしい。
何時、僕は山口に両親が死んだ事を教えた?
両親が死んで以来、他人を避けながら生きていた僕が彼女に何時話した?
どうして彼女は僕の両親が死んでいると知っていた?
高校と違って友達を作らずとも、プライベートの事を誰ひとりとして知らずとも過ごしていける大学でだ。
だが、僕の両親の事件と、そして山口の両親の事件、
この二つの世界が存在するならば、この境界線の間に立っているのは山口蒔絵ではないだろうか。
そしてもう一つの世界。
僕、江夏春秋と、山口蒔絵を結ぶ境界線の間に立つ、秋桜。
死人は口なし。
でも、生きている人間にはまだ喋れる口が備わっている。
だからこそ、山口の口で、彼女の気持ちを聞かなければならないと。
■ぽすと・すくりぷと 05
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